生きてる限り踊っていこう!
(2004.10月号ダンスビュウ誌掲載)

人生って何が起こるかわからない。

1月31日痛みは突然やってきた。
痛みに鈍感だと思っていた私が動くこともできないくらいの激痛に襲われたのは深夜12時を回ったころだった。
インフルエンザといわれて40度の熱と戦ってるときだった。
そのまま救急車で運ばれて緊急手術。
腹膜炎の他病名が4つもつくような命にかかわる大手術になってしまった。その上、術後は肺炎を併発して呼吸ができない状態になり「この抗生剤が効くのを祈るしかありません」と医者から宣告。
手術から10日間、夫は私のそばで寝泊りし、ずっとそばについていてくれた。朦朧とする意識の中でどうして仕事にいかないのだろう?と不思議だった。彼が仕事どころではないくらい危険な容態だったことを知ったのはやはりずっと後になってからだ。
毎日のように届く全国のみなさんからの激励のメールはどんなに心強かったかわからない。
「絶対復帰したい!」とベッドの中で何度も何度も読み返した。
それにしても人間というのはすごい生命力だ。周りが驚くほどの回復力で私は元気になっていったのだ。
あとから口々に「危なかった」という医師たちの言葉を聞くたびに「生」に向かって確実に回復していくのを感じていた。経験したこともない苦しさだったけれど元気になることだけしか考えたことがなかった。
そしてなんと私は3週間で退院してしまったのだ。(え?)
突然の病気はいままで全力で突っ走ってきた私たちに神様がくれたお休みだと思うことにした。焦らずゆっくり自宅療養することになった。
しかし肺炎の後遺症で咳は止まらず、胸膜と肺の癒着のため、呼吸が苦しい。こんな状態がいつまで続くの?咳き込みながら現実を受け入れられない私がいた。
手術の傷はみぞおちから下腹部まで30センチ以上はあるのだ。
ほんとにダンスに復帰ができるのだろうか。不安な日々。  
退院して2週間後、3月7日、まだ満足に歩けないけど出場予定だった東京オープンの観戦にいく。
大好きな曲と大好きな選手たちのすばらしい踊りにやっと生きている!という喜びを実感した。 でもダンスは見るだけでいいの?それだけで終わりたくない。やっぱり踊りたい!気持ちがどんどん前向きになった。いよいよ復帰にむけてのリハビリがはじまった。

3月13日、術後41日目シューズをはいて立ってみた。
歩くだけ。
足の裏が痛い。
親指の付け根が痛くて立てない。
シューズで歩くってこんなに大変だったの?カクカクと膝が笑う・・・。
体重も激減し、体中の筋肉がすっかり落ちてしまっているのを感じる。
ショックだ。 でも、生きてこうして彼といっしょにいることがうれしかった。
彼が嬉しそうに楽しそうに子犬のようにクイックのシャドウで走り回ってるのを見たら、こうしていっしょにダンスするのを彼は待ってたんだなあと涙があふれた。
私が踊れない間2ヶ月以上、彼はダンスシューズを履こうとしなかった。
筋肉を落としても、また私といっしょに一からはじめようと思ったのかな。

 3月21日、歩くだけじゃなく動いてみる。普通の生活を取り戻しながら週に1回の練習がはじまった。
余分な体力なんてどこにもなかった。ほとんど初心に返ったようだった。
でも違うのは、筋肉がなくても身体が覚えていてそこまで動きたくなること。しかし筋肉がないから30分もすれば体中が筋肉痛で悲鳴をあげた。ストレッチするとベリベリと音がするように上半身の傷は伸ばされて強烈な痛みとなる。こんなことしていいのだろうか・・・・。
毎回のその繰り返しだった。
「痛い?痛い?」と彼は何度も聞いた。
「痛いよ、すごく!」だからってやめるわけじゃない。
「無理しないでね」そう言いながら「もっとストレッチしてよ、ちゃんと立ってよ」と矛盾したことを言う。いったいどうしろって言うのだ。
でも練習しだすと不思議と痛みは忘れた。  

二人で復帰の目標となるように日本インターのシニア戦にエントリーした。出られないときはみんなの応援しよう。無理はしないで行こう。
週1回の練習から2回になり、インター直前はとうとう3回になった。
まさか、申し込むときはラテンもスタンダードも踊れるなんて思ってはいない。だからラテンはフロアにいるだけでいいからね。にこにこ笑って楽しくフロアを感じよう。だってシューズを履くのは退院後4回目だもの(笑)
 前日は美容院にいって、憧れだったウェブのヘアスタイルにしてもらう。
それだけで気持ちがうきうきした。体の中から湧き出る踊りたいって気持ちに胸がつまって呼吸ができなくなりそうだった。涙がこみあげる。せつない・・。

2004年6月12、13日、日本インター。
私たちの人生の記念になりますように。祈るような気持ちで彼の手をぎゅうっと握っていよいよフロアへ。会場からは降るような声援。
あぁここに戻ってこれたんだ、楽しくてうれしくて夢中で踊った。
踊るってこんなにすばらしいことだったんだ。生きて再び武道館のフロアで踊れることがうれしくてしょうがなかった。笑顔で両種目踊りきった。
もう結果はどうでもよかった。 踊り終わったら傷や腹筋が痛くて動けなくなった。やはり音楽とあの雰囲気は麻薬のようになっていたらしい。
「来年もまた元気で会おうね」これがシニア仲間の合言葉だ。
毎年交わされるこの言葉が今年ほど心にしみたことはなかった。
人生突然何が起きるかほんとうにわからない。
病院のベッドで酸素マスクや点滴のたくさんの管につながれているときには、こんなに早くダンスに復帰できるとは夢にも思わなかった。
生きてる限り踊っていこう。
復帰まで、ずっと支えてくれたたくさんのダンス仲間と愛する夫に心からありがとう。
生きる希望を抱かせてくれたダンスの神様と運命、すべてのことに感謝したい。
詳しい闘病記と私たちの元気な笑顔は「ひよこ組っ」のサイトで見てくださいね。http://www.isop.ne.jp/hiyoko/

2004.6.13 日本インター(日本武道館) 
(上記写真は友人の林えりさん撮影)